“ 少し不便なぐらいでちょうどいい ”

私らしくあなたらしく。そして人間らしく生きたいと願うすべての方に

「"もったいない" から無駄なく消費しよう!」 …効率ってそんなに大切ですか?

 5月も折り返しを迎えましたが、みなさん "5月病" は大丈夫ですか?
私は結構体調を崩しやすい体質なので、疲れがたまってきたときは近くの日帰り温泉に行って、ゆっくり体を休めるようにしています。
当たり前ですが、まだ体力が残っているうちに休むのがミソ。体力0だと全快どころか半快にすら時間かかるので、どうか早めの休養を。(-Д-。)

 

 

 

 

 今日は、ドイツでフリーライターをやっていらっしゃる雨宮 紫苑さんのブログ "ドイツ発 雨宮の迷走ニュース" から引用です。
(美人だ…// そして同い年だ…! (雨宮さんはじめして、はりーです。))

 はりーさんのスタンスとして、"値段が高くても品質の良いものを長く使いたい" ので、現代の大量消費社会に対しては疑問を持たざるをえません。
まぁ、必ずしも "高いもの = 良いもの" というわけではないので、モノを見る目は重要になってきますが。笑

 
www.amamiyashion.com

 

 

 

 

この記事では、冒頭から以下のような疑問を投げかけています。

無駄にせず、大切にする精神――。そう聞くとすごく響きがいいんですが、その美徳が、逆に日本人を苦しめているのかもしれません。 

 
  彼女の記事を要約しますと、

 「もったいない」という言葉の語源は、「粗末に扱われて惜しい」だと言います。古来では、そのモノが持つ価値が生かされてない状態に対してその言葉を使っていましたが、現代の大量消費社会では (モノよりも) 時間や機会損失に対して用いられるようになったとのことです。その (時間や機会損失に対する) もったいないを意識するあまり、人生に豊かさをもたらす "無駄" までもが排斥され、そのことに対して警鐘を鳴らしています。

 

 

 

 ここ数年、近藤麻理恵さんの "人生がときめく片付けの魔法" (サンマーク出版・2010) を発端として "片付け" や "断捨離" のブームが来ていますね (近藤さんの著書に関しては私も読みましたが、まるで現代のモノの持ち方に関する教科書のようでした)。ただ裏を返せば、まだ使えるモノがあるのにも関わらず、(本当はいらないモノも含めて) 次から次へとモノを買っている、もしくは買い替えているとでも言えるでしょう。

 その典型例として、スマホなら2年、自動車だったら3年~5年 (車検のタイミング) の周期で買い替える人がいますね。こういった人たちは常に最新のモノでなくては嫌なのか、買い替えれる機会 (とお金) が揃っているのにそれに乗らないのはもったいない!(それができる 俺 / 私 ってイケてるっ!)・・・とでも思っているのでしょうか?
この2例に関して言えば、どちらも企業側がそのスパンで買い替えるよう宣伝しているわけで。単にそれに乗せられているとも考えられますが…。

 まぁ、民間企業の本質として "利益を出す" というのがあるので、みんながみんなモノを長く使っていると利益を生み出せなくなる可能性もでてくるため、致し方ないところもあるのですが。それでも、ホームページに書いてあるようなキラキラした企業理念はよそに、「利益最優先かよ」って思うことも多々ありますけどね。

 

 

また、雨宮さんの記事内でも登場していますが (※下記の例文は記事より引用)

 「この料理を食べなければもったいない」
 「新しいiPhoneがあるのに買わないなんてもったいない」

というモノの消費に対する "もったいない!" もあれば、

 

 「せっかくの休みだから昼まで寝てたらもったいない」
 「晴れてるのに洗濯しないのはもったいない」

といったコト、すなわち機会も無駄なく消費しようという "もったいない!" もありますね。

 

 

 私としてはこの「(限られた時間と機会を) 無駄なく消費」という流れは、今、巷ではやっている「効率化を図ろう」とか「生産性を高めよう」といった類のものと同じに見えてしまいます。

 確かに効率そのものは高いほうがいいですし、それらを高めようとする努力は全然いいことだと思います。ただ、最近のは "過度に" 効率化を推し進めるものが多くて、うんざりすることもしばしば…。

正直、あなたたちには "効率" の2文字以外はないんですかね?何のための効率化なのか…。
そんなに効率性を高めたいのならロボットに任せればいいじゃんか。って思います。笑

 

 

 結局、雨宮さんの記事とほぼ同じ結論に至ってしまいますが (-∀-;;)、人もモノも、アソビ(無駄な部分)って必要だと思うんですよ。

 例えば、みなさんが使っている車のペダル、アクセル(A)もブレーキ(B)もクラッチ(C)も、全部アソビがあります (※アソビの量はメーカー・車種によって異なります)
それが全くなかったらどうでしょうか? 恐らく、ー少なくとも人間にとってはー、とても操作しにくいと思うでしょうし、何らかによってペダルがわずかでも踏まれていたらまともに運転なんてできないですよね (意図しないA, B, or Cが動いている状態なので…)。

 

 効率をどんどん高めていった結果、一切のアソビがない人間になってしまったら、果たしてそれは "人間" と呼べるでしょうか。・・・まぁ、生物学上ではホモ・サピエンスに変わりはないんですけどね。笑

 

 

 

 冒頭でも書きましたが、私は今日仕事がお休みでしたので、午前中からゆっくりと温泉に入りに行きました。帰ってきて自分でご飯を作って食べ、家でダラダラして、今日もあと1時間で終わる…という頃にブログを書いている始末。笑

 効率化を推し進める人からみたら「とっても生産性が低い (むしろ0?笑) 1日」です。でも、私にとっては効率よりも人間らしくいることが優先なので、半身浴しながら空を眺めている時やご飯を味わって食べている時、とても「あぁ、今生きているな~」と感じることができた日々でした。
(そういえば、"人間らしさ"って何なんでしょうね。今度記事にでもしてみます。)

 

そんな休日だっていいじゃないか…!

休日は誰のもんでもない。私のだし。

 

 

 

 効率を求めてロボットになるぐらいなら、私は不完全な人間でありたいです。
そして、ロボットと化した人間よりも、(決して効率が高いとはいえないけれども、それでも) アソビがあって人間臭さがある人と一緒にいたいと私は改めて思います。