“ 少し不便なぐらいでちょうどいい ”

私らしくあなたらしく。そして人間らしく生きたいと願うすべての方に

【後悔はしていない】そうやって自分に言い聞かせて、本当の気持ちにフタをしていませんか?

つい昨日、友人 (女性) の祖父が亡くなったらしい。あれから1日がたったが、今でもこれでよかったのだろうかと思ってしまう。

※ その人と出会ったのはほんの数日前で、彼女からみたら私はただの知人レベルかもしれないけれど、それでもあえて私は "友人" と呼ばせてもらう。

 

 

 

 

日常はいつも突然に終わりを告げる

その日も彼女とはとりとめのない話をしていた。彼女はふつうに笑っていた。

だが突然、「おじいちゃんがもう危ない」との連絡が入った。

今いる場所からおじいちゃんのとこまで700km。新幹線を使っても6時間はかかる距離。

彼女は諦めを含んだ笑みでこう言った。

 

「今から帰っても間に合わないかもしれないから。」

 

それぐらい病状は危険だった。

 

 

それでもおじいちゃんのもとへ行ってほしかった

700km。ふつうの人なら、遠すぎて具体的な距離間がつかめないと思う。

でも、私は車の運転が大好きだ。私は彼女にこう伝えた。

 

「700kmあったって高速道路使えば半日で着く。それに700kmと言ったって日本国内じゃないか。電車だと最寄り駅から病院まで時間がかかる場合もあるし、なんらかのトラブルで終電に間に合わなかったら到着すらできなくなる。」

 

私の母はこうした非常時のときにお金を出し惜しみしない人だ。加えて、その人がピンチとわかれば遠方でも駆けつけてしまうほどの行動力がある。

そんな母に育てられたものだから、700km先まで彼女を送り届けることなんて負担ではない。それ以上に「もう間に合わないから…」と諦めてあとで後悔するんだったら、仮に間に合わないとしても、1%でも間に合う可能性があるならそれを信じてみたい。同じ後悔をするにしても、やって後悔したいと。

 

そう彼女に伝えた。

 

彼女は言った。

 

「本気で言ってるの・・・? 700kmだよ・・・・・?」

 

私は返す。

 

「本気だよ。」

 

彼女の目をまっすぐ見てそう言った。

 

 

 

 

彼女の顔から今まで浮かべていた笑みは消え、あたふたと準備をし始めた。

 

だが、世間というのはマンガの世界みたく甘くはない。

その話をした数分後、彼女の携帯が鳴った。

 

 

 

 

 

「たった今、おじいちゃんが亡くなった。」

 

 

 

彼女はそれでも笑う

その結末を聞かされて、私は「そっか・・・」としか言えなかった。やっぱり知らない人であっても、人が死ぬということは堪えるものがある。

 

でも彼女は笑っていた。そしてこう続けた。

はりーくんありがとう~。やっぱ間に合わなかった。

でも5月ぐらいに「2~3か月の余命」って言われて、もうちょっと大丈夫かなって思ってたところもあったんだ。

おじいちゃんも苦しい姿を私に見せたくなかったんだろうし、そういう運命なんだな、って。

もう急いで帰る理由もなくなっちゃったし、やるべきことを終わらせてから、ゆっくりおじいちゃんのところへ帰ろうと思う。

 

これ以上、私がゴリ押しするのはただのエゴでしかないため、結局彼女は公共機関で帰ることになった。

 

 

 

帰り際、彼女はこう言っていた。

毎回おじいちゃんに会うたびに「また来るね、ありがとう」って伝えておいてよかった。だから、後悔はないよ。最期に立ち会えなかった悔しさはあるけどね。

 

そして笑顔で私に手を振りながら、東京へと戻っていった。

彼女はとても強い子だ。そして素直で、根がしっかりしている。数日しか一緒にいなかったけど、それでも会話の奥底にある彼女の強さを、いつも私は感じていた。

 

 

「後悔はしていない」。彼女の性格上、ウソを言うような子ではないためこの気持ちは本物だし、上の帰り際に言った台詞も本心からであることに違いはない。

 

だが、私が「送っていくよ」って言ったのは彼女がウソを言ったからではない。

私は "彼女が自分の本当の気持ちにフタをしている" ということがイヤだったのだ。

 

「社会的・物理的制約、自身の経験、他人の視線・・・人間というのはそうした理性によって、本当にしたいことがわからなくなってしまう生き物だ」というのをどこかで聞いたことがある。

彼女の場合、700kmという物理的な距離もさることながら、ここ数日は予定が入っていたため、彼女自身の「おじいちゃんのところに行きたい、会いたい」って言う気持ちに、フタがされてしまったのかもしれない。

 

だが事実として、彼女は予定をキャンセルして直接亡くなったおじいちゃんのところへ向かっている。彼女自身は意識していなかったかもしれないが、それが本心であったのだ。

 

 

私はいつも後悔ばかり

そんな彼女の本心に気がついていたのにもかかわらず、彼女を送ることはなかった。否、できなかったのだ。

私は「本音にフタをしている彼女が見ていて辛い」というのが本心にあった。

でも、こういうのは時間が経つにつれて理性が介入してきてしまうもので、そこまでの交通費、送り届けた後の自身の行動、「はりーがそこまでする必要があるの?」という他人の目線などといった合理的な考えが浮かんでいた。

そこに彼女の「もう急ぐ必要もない」という強がりな部分に押され、結局送ることはなかった。

 

 

でも、わたしは今すごい後悔している。

「自分が送ってあげられれば1秒でも早くおじいちゃんに会えたんじゃないか。」

とか、

「どうして損得勘定抜きにして考えられなかったのか…?」

とか。

 

本音にフタをしていたのは、彼女だけじゃなく私も同じであったのだ。

そして本音にフタをして行動した結果、生まれたのは「後悔」の2文字である。

 

 

もちろん、本音を隠していたことが悪いことじゃない。

私が大好きなAqua Timezの楽曲の中に、こんなフレーズがある。

 

辛い時 辛いと言えたらいいのになぁ

僕達は強がって笑う弱虫だ

淋しいのに平気な振りをしているのは

崩れ落ちてしまいそうな自分を守るためなのさ

(Aqua Timez "決意の朝に" より)


 

大好きなおじいちゃんが死んだとなれば、彼女だって辛くないわけがない。でも彼女は涙一つ見せず微笑んでいた。それは彼女が強いんじゃなくて、人間が持つ一種の防衛反応なんだと思う。

 

その笑顔を私は見ていられなかった。目を背けてしまったがために、今こうして後悔している。

 

今、彼女に伝えたいこと

できることなら会って直接伝えたい。だが、お通夜やらお葬式とやらでドタバタしていると思うので、こうしてブログに綴ってみた。

 

「ごめんね」って言いたい

まずはこれ。彼女の気持ちに気づきつつも、結局送り届けなかったことを謝りたい。

素直になれなくてごめんね。

 

今ほど、お金に縛られている自分がイヤと思ったことはないだろう。

 

泣きたいときは泣いていいんだよ

私が大好きな小説の中で、ヒロインの女の子がこういう台詞がある。

ちゃんと泣けるときに泣いておかないとね、涙はその人のなかで石のように固まってずっと残り続けちゃんだよ。

(山下卓、"ぼくらが旅にでる理由"、エンターブレイン、2011 より)

(※ 今手元に原本がないため、おぼろげな記憶ですが…) 

 


彼女はウソを言わない。だから、おじいちゃんに対して「ありがとう」と思う気持ちや「前を向いて生きなきゃ」っていう気持ちは本当なんだと思う。

でもあえて、私は言いたい。

 

「悲しかったら、辛かったら、我慢せず泣いていいよ」

 

と。

ちゃんと涙を見せれる相手がいなかったら、700km先の私を呼んでもいい(笑)

今度こそ、ちゃんと行くから。

 

そしてまた、あなたの素敵な笑顔をわたしに見せてください。

 

 

たまには運命に抗ってもいいんじゃないか

人知を超えて働く力、それが運命。なので、私達ががんばったところでどうしようもないこともある。

会いに行こうと思った矢先に亡くなってしまったのも、きっとどうしようもないことだったのだろう。

 

でも、どうしようもないことだとしても「こういう運命だったんだよ」って冷めた目でみるのはどうなのだろう。

 

運命という言葉は好きだけど、でもその言葉を逃げ口にして自身の本心に目を背けているようにも私は思えたよ。

 

だからさ、ちょっとぐらい抗ってもいいじゃんか。大丈夫、あなたはひとりじゃない。

 

 

 

あとがき

自分の気持ちも整理する意味も含めて、この記事を書きました。(すこし半泣きしながら…)

もしかしたら彼女が読んでも「全然違うし」なんて一蹴されてしまうかもしれない(笑)

でも、それでいいんです。

 

 

また彼女に会えることを祈って、私は今日も生きていきます。