“ 少し不便なぐらいでちょうどいい ”

私らしくあなたらしく。そして人間らしく生きたいと願うすべての方に

はりーのプロフィール

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当ブログの中の住人、はりーのプロフィールです。

 

 

(時間ない人はここだけっ!☟)

 

● 1992年3月生まれ。茨城県出身。A型っぽいB型。

● 大学院を修了して新卒でベンチャー企業に就職し、いきなり "工場長" になりました。ですが、わずか半年で体を壊し休職。のちに退職。

● 会社員時代は「仕事のために生きる日々」に嫌気がさしていたが、ある本をきっかけに "プロブロガー"  "WEBフリーランス" という働き方を知り、今それを実現すべく毎日を人間らしく生きています。

車好き、オープンカーの代表格であるマツダ・ロードスターに乗っています。平均するとだいたい "1日100km" 運転している計算に。

このご時勢でLINEをやっておらず、「この世界で生きていないのと同義」とも言われたこともありましたが、無事に生きています(笑) 唯一アクティブなSNSは、Facebookのみ (※ただ、対面でお会いした方でないと友達申請しないのであしからず)。

⇒ 世間の波には逆らえず…やむなくLINEを始めました。

 

 

 

これまでの経歴

はりーさんのこれまでの経歴をつらつら書いていきます。

家族構成

専業農家をやっている家に生まれる。家族構成は祖父、祖母、父、母、私の5人。今ではネコも一匹増えました。

小学・中学・高校時代

小学校では書道と水泳を習っていました。

なぜか小4ぐらいから自主学習がブームになり、先生達からはとても好評な学年だったと思います。

 

中学ではバスケ部に所属。だが「自分がミスして周りに迷惑をかける」ことがすごくイヤで、あまり馴染めませんでした。このころから、審判とかの裏方に興味がでてきます。

中2の夏にはじめてAqua Timezと出会い、それ以来ずっとファンに。中3の冬に初めてライブ参加し、直接アーティストに会えたっていう感動と同時に、音響エンジニアという職業に興味が湧きます。

 

 

高校時代はあまりいい思い出が残っていません。

決していじめられていたわけではないですが、仲のよい子たちとことごとくクラスが離れていたため、1人でいることのが多かったです。

 

唯一のエピソードと言えば、高1のときある女の子に告白して玉砕。
しかも、「本気で相手のことを想っていない人となんか恋愛できない」というフィードバックつきでした。(笑) 

ここから「好きになるなら本気にならなきゃダメだ」と思うようになり、「ずっと付き合っていきたい人を探す」という考え方を覚えました。

 

ちなみに、高校時代の人で今でも連絡を取れる人はほとんどいません。

 

 

 

大学時代

Aqua Timezのライブ以来、ずっと興味があった "音響学" を学ぶため茨城大学に進学。だがしかし、私が入る直前にその教授が定年退職。もちろん研究室も消失。(笑)

 

一度は音響を諦めたものの、やっぱりやりたい!という気持ちが湧いてきて大学編入を決意。半年ほど勉強をしましたが、自身の覚悟 (と点数) が足りず不合格。「予備校に行けば大丈夫だろう」という甘えた気持ちもあったのも事実です。

当時は自覚がなかったですが、その頃から「人間がどう感じるか」ということに感心があったのだと思います (学術分野で言えば、心理学や認知科学など)

 

 

大学では競技トランポリン部とバンドサークルを掛け持ち。一時はバンドで Vo & Gt とかやっていましたが、イケイケな感じがついていけず1年で幽霊部員に。

 

一方のトランポリン部では、試合に出たり先輩・後輩の応援しに行ったり、審判をやったりと、楽しかったこと辛かったことたくさんありましたが、充実した日々を過ごせました。

今でもトランポリンは大好きです! 興味ある人は是非一緒に跳びましょう!!

 

 

車好きはこの頃から覚醒。


 

 

3年次の冬から例に漏れず就職活動をはじめましたが、軸が全くなくて途中からイヤに。そのまま4年次になり研究室配属。

就職と大学院で迷いましたが、担当教員の「やることないなら院で見つければいい」という言葉に後押しされ、大学院に進学を決意。

2次募集の試験を受けたので、滑り込みセーフでした。笑 

 

 

大学院時代

大学院に上がる春、彼女 (当時、大学3年生) から「卒論の資料を探しにルワンダに行きたいんだけど…」って言われたので、その場で「俺も行く」と即返事 (ほぼ反射でした)。

あのときの彼女は、「え・・・はえ????Σ ゚д゚≡(   ノ)ノ」と文字通り面食らった顔をしていました。

(後で聞いたら「絶対断られる」と思っていたそうな。普通はそうだろうに。)

 

ルワンダ行きが決まった矢先、夏休みにタイの農村部でフィールドワークをする授業を見つけ、「海外生活の肩慣らしになるかな」と思い即参加を決意。

 

 

でも、院1年次の6月ぐらいから研究が思うように進まなくなり教授と衝突。

まさかの大学院生で保健室登校・・・笑

4・5月と授業だ!研究だ!って動きっぱなしで、たぶん息切れしちゃったんだと思います。

 

 

本格的な夏を迎えても研究室はお休みしていましたが、タイ行きはそのまま決行しました。

大学に入ってから初海外ということもあって、フィールドワークも観光もかなり満喫していました。笑

現地の学生にすすめられて、初めてココナッツを実食しました。

味は・・・スイカかな?

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そしてタイから帰国して3日後、いよいよルワンダへ旅立つ日が。

しかし、皆様も覚えているかとは思いますが、この2014年はアフリカ西部でエボラ出血熱が流行していた時期であり、周りの人からはかーなり心配されました。

 

母親に関しては「帰ってきたら…」と死亡フラグを立てる始末。

いやいや母さん、まだ私死にたくないよ…?笑

(お母さん、めっちゃ心配かけてごめんね。。)

 

現地の新聞などでエボラの動向をチェックしていましたが、幸いにもルワンダまで被害が及ぶことはなく、9月下旬に無事に帰国しました。

 

 

 

私の中の価値観が大きく変化した、約1か月間のタイとルワンダ旅行でした。

海外にいて思うこともたくさんありましたが、今でも印象に残っているのはこんな感じです。

 

● 夜9時に寝て朝6時に起きる生活。いわゆる日の出とともに起き、日の入りとともに寝るという感じでしたが、すごく生きている!という実感がありました。

● ルワンダは南半球です。 なので、当たり前なのですが北斗七星が見えません。

「当たり前は当たり前じゃない」そう呟きながら星空の下で飲んだビールの味は、今でも忘れません。
ちなみにルワンダは平均標高が1,000mを超え、闇夜を照らす灯りもないことから、半端じゃないぐらい星空がきれいでした。

● 広い世界をこの目で見ると、自分が抱えている悩みなんかちっぽけであるということ。

 

ちなみに、ルワンダ旅行中は日程の半分以上を現地で大学教授をしている佐々木さんご夫妻、そしてそれを支援する会で現地にいらしていた方々にお世話になりました。

先生方をはじめ、皆様のおかげでとても有意義な2週間となりました。

改めてお礼を申しあげます。ありがとうございました。

 

 

 

 

そして時は10月。すっかり元気になったことから保健室登校を辞めて、研究室に復帰しました。

(※なお、保健室はちょいちょい顔をだしていた模様。)

 

今だから思いますが、6・7・8・9月と1年の1/3も研究室を休んでいたのに、 留年もなく2年間で修了できたのは、指導教員の心遣いがあってこそ。

本当にお世話になりました。

 

 

 

さて、いよいよ大学院も折り返しに入ります。つまり、人生で二度目の就職活動がやってきたのです。

 

学部のときよりは視界が明るくなってはいたものの、やはり「やりたい仕事」というのは見つかっていませんでした。

 

そのため方向性を変えて、「ライフワークバランスが取れて、男性の育児休暇が取れる」という条件で就職先を探していましたが、気に入ったところはほとんど見つからず。

正直に言えば、どこの企業を受けに入っても、入社したあとのビジョンが自分の中で描けなかったんですね。

 

 

とはいえ、当時は就職以外の道を知らなかったので、紆余曲折ありながらも、とあるベンチャー企業に内定をいただきました。

「あれ・・・?ライフワークバランス関係ないじゃん!」と就職を決めたときは自分でツッコミを入れてしまいました。笑

ただ、当時は3年ぐらいでたくさんの経験を積んで自身の価値を高めることで、ライフワークバランスが取れる会社に早々と転職することを狙っていたからこそ、ベンチャー企業を選んだのだと思います。

 

 

就職を一番喜んでほしかった母に、内定をもらった旨を告げたときの第一声は

「なんで (大学院まで行って) ベンチャーなんかに・・・・・。」

でした。

 

「『おめでとう』すら言ってくれないだ・・・」とすごい悲しい気持ちになりましたが、知人から「はりーの人生は、はりーだけのもの。」ってアドバイスをもらい少し楽になりました。

その頃から、「敷かれたレールの上は走りたくない」「自分だけの人生を歩んでみたい」というある種の反抗期のような感情が芽生えていたのだと思います。

 

 

ベンチャー企業在籍時

いろんなところで言っていますが、新卒入社して1か月で工場長になりました。とても忙しい日々でしたが、今となっては貴重な経験ができたと思っております。

まぁ、8月下旬ぐらいから「会社 辞めたい」ってググッてました けどね (笑)

その後、仕事でのストレスで10月に適応障害を発症。3か月の休職期間をはさみ、12月末を以って退職しています。

 

「退職したことに後悔はないか?」と聞かれますが、個人的は一切ありません。だって、そうしたことで今いるフリーランスの世界に出会えたのですから。
もしあのまま無理して続けていたら、私は今頃この世にいなかったかもしれませんね。

 

詳しくは別記事に書きましたので、見ていただければと思います。

 

↓ 入社から違和感を感じるまで

↓ ストレスで体調を崩し始め、退職するまで


 

休職後からフリーランスを知るまで

休職し始めて1週間ぐらいは、正直何もする気が起きませんでした。なんというか「自分だけ休んでいて申し訳ない」という罪悪感と、世間からの目が怖かったのですね。

 

でも、そんなのはお構いなしに、やつがやってきます。

 

 

 

 

ちわ~っす。今日からお世話になりまーす!

・・・・・(゜Д゜ ) アァ、ソウイエバ

 

 

休職入った直後にロードスターが納車…!

(納車日を忘れるほどってどんだけよ・・・笑)

 

最初は「会社を休んでいるのにこんな車を運転するなんて…」と思ってて乗るのも躊躇われましたが、ハンドルを握ってすこし運転するだけでもすっごい楽しくて。

 

あとになって、あのタイミングは最悪だったけど最高だったと思うようになります。

「最悪は最高に通ずる」ってこういうことですね。

 

 

 

そこから私が休職中にやろうとしたことは3つ。

  1. ロードスターを運転
    ⇒ せっかく私のもとにやってきてくれたから…ということで毎日乗ってました。
  2. 運動をする
    ⇒ 在職時はほとんど運動ができておらず体力の衰えを感じていましたので、毎朝ウォーキングしようと。
  3. 本を読む
    ⇒ 昔から人生の分岐点に立ったときの対処法は2つ。人に聞くこと、本を読むこと。2日に1回はブックカフェに通い、1日1冊は読んでました。

 

 

私にとってはどれも重要なことだったのですが、その中で私の人生を大きく変えたのはある本との出会いからでした。

 


ホリエモンの "99%の会社はいらない" って本です。初刊は2016年7月なので、比較的最近の本となります。

この本は11月ぐらいに読んでいたのですが、その中で「イケダハヤト」という単語が何回もでてきます。

それで「イケダハヤトって誰?」と思って調べてみたところ、あの有名なブログ "まだ東京で消耗してるの?" に出会いました。
(イケハヤさん、度々呼び捨てにしてほんとスミマセン…。)

  

 

そのブログから、私がフリーランスの世界に足を踏み入れることになった人物を知ります。

この方です。

 

 

 

 

 

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△ あんちゃさんのFacebookページより拝借。トップ画として使われる "緑背景で下ネタ本を持っている" あんちゃさんより、この写真が彼女らしくて好きです。個人的にはこの写真の印象がかなり強い。

 

  

 

月間50万以上のPVをほこる "まじまじぱーてぃー" 運営者であり、プロブロガーのあんちゃさんです!

 

あんちゃさんのブログを見つけてから、すぐに出張面談を申し込みました。

彼女によると「今は千葉にいるから、(都内で行う)出張面談は●月の■日あたりにしかできないんです…」とのこと。

というわけで、

 

 

(ロードスターも運転したいし) 千葉に行きます!!

 

 "逆" 出張面談を実施・・・!!笑

(※本来であれば、あんちゃさんが面談場所に出向いてくれるのですが、今回は申込者(私)が出向くということで "逆" 出張面談です。)

 

実際にお会いすると、写真よりかわいらしい (本音)。

 

一通りゴニョゴニョしたあと(※ ふつーの会話です)、あんちゃさんとこんなやりとりを。

今はなんで千葉にいらっしゃるんですか? 親戚の家がこっちとか・・・?

あ、違いますw 今、Webでお仕事をしてる方向けの合宿があって、そこで講師やっているんです

同い年なのにすごいですね! 

よかったら少し覗いてみます?

という何気ない会話から、今これを書いているコワーキングスペースまるもに案内していただき、同時に田舎フリーランス養成講座のことを教えていただきました。

 

このやりとりがなかったら、金谷ではなく都内でお会いしていたら、、そもそもあんちゃさんが出張面談をやっていなかったら、、、

今頃私は社会の藻屑となっていたかもしれません。

 

 

 

あの出会いはほんとうに奇跡でした。

 

そうして今、私はフリーランスとして毎日を生きています。

大変なこともたくさんありますが、それでも人生の中で今が一番楽しい。

ぜひこれからも当ブログを、そして私自身をよろしくお願いいたします。

 

 

 

 ( ここまで読んでくれてありがとうございます!随時更新していきます。 )